酪農家、あるいはチーズ工房の主。草鞋を履き替えて今日も行く《知久牧場 後編》

知久牧場の入口にある看板。この牛の看板に導かれるように敷地に入るとすぐのところに、チーズ工房があります。


《知久牧場 前編》江戸川河川敷、たなびく牧草と母さん酪農家の明るい明日

「農家の嫁は自分の城が持ちたいものなのよ、ふふふ」と、知久久利子(ちく くりこ)さん。365日酪農の仕事は、朝から晩までずっと家族と一緒。「小さくても自分の居場所が欲しくなるのよ」と。

「知久さんこんな素敵な工房でチーズを作ったり、好きなことが出来ていいですねって、みんな言ってくれるんだけど、私なりにちょっとは努力した結果かなって、思ってるんですよ。この工房はね」と、またそっと言いました。

そして、搾りたてのミルクと、久利子さん作のクリームチーズとモッツァレラを出してくださいました。そのしみじみ美味しいことと言ったら!

 

ミルクは近いもの、チーズは遠いもの、と思っていた

毎日自分たちが搾っているミルクを、河川敷の牧草から生まれる関宿(せきやど)ミルクを、何かカタチにできないかなと考えていた久利子さん。

「アイスクリームやヨーグルトはどう?」と知人に勧められるも、「夏場が勝負のアイスクリームは牧草刈りのハイシーズンだから難しいなぁ。ヨーグルトもピンとこない・・・」と思っていたある時、インターネットで“手作りモッツァレラキット”なるものを見つけます。

「え?チーズって作れるんだ、面白そう、やってみよう!」と思ったのがきっかけ。原料のミルクは、そこにたっぷりある。興味津々です。

そのうちに千葉県内のチーズ工房の方々と知り合い、チーズ作りにどんどんのめり込んでいくと、思っていた以上に「美味しいチーズを作るのは難しい」と感じ始め・・・特に、モッツァレラには悩まされ、そのたびに栃木県の那須の「あまたにチーズ工房」へ。

「そこで惜しげもなく、すべてを教えていただいたから今がある」と久利子さん。つるんと美しい輝くモッツァレラを、「家族が美味しいって言ってくれたら、それが私の正解。いろいろ迷うけれどそれでいいかなって思ってます」とも。

多くの人がリピートするクリームチーズは、当初脂肪分や固形分の多いジャージー牛のミルクで作っていたそうですが、なんとなく後味が重いかなと感じて、今はジャージー牛のクリームと、ホルスタインのミルクを合わせて作っているとのこと。

しっかりとコクがありながら、搾ったミルクそのまんまの風味。まったくもたれずに、いくらでも食べてしまう、危険な(笑)クリームチーズです。

 

若い人たちを農の道へ導いていきたい

今、久利子さんは週に一度、自分たちで搾ったミルクを自らの手でチーズにして、「ゆめあぐり野田」や「あびこん水の館農産物直売所」といったところに卸しています。

人気であっという間に売り切れてしまう関宿のナチュラルチーズ。「送ってほしい、東京でも置きたい」という声はたくさんありつつも、「見える範囲で販売し、地域の人に食べてほしい」と久利子さん。

チーズ工房も、チーズを作りたい!という熱意のある人がいれば、チーズ作りは任せて、自分は「牛飼いに徹したい、うまい関宿ミルクなら私が搾ってやるよ!!」という想いも一方であるのだそうです。

そんな久利子さん、最近では就農希望の若者のための活動も。ご近所の100年の古民家を紹介し、そこでの暮らしと就農をサポート。家族総出で協力です。

立派な右腕として一緒に働いている息子さんを筆頭に、4人の男児のお母さんであり、なんとお孫さんまでいる久利子さん。さらに多くの若者のサポーターの育成までとは、“スーパーミラクル酪農家”と言えるでしょう。

 

旅立つ命にありがとう。そして生まれてくる命にもまた、ありがとうを

取材に訪れたこの日、青空のもとに横たわる一頭の母さん牛がいました。自力で立てなくなって、迎えの車を待っているところでした。

「ちょっと介助してやるとちゃんと立ってね。お乳も搾れていたものだから、もうちょっと一緒にいようよ、もうちょっと、って引っ張っちゃって。こうして立てなくなっちゃたんだけど、今までたくさん子供を産んでくれて、本当に良い牛だったし、ありがとう!ですよね。こうして行ってしまう命も、また生まれてくる命にも。」

河川敷に向かう草道で、久利子さんは言いました。

ああ、いただいたクリームチーズにも、モッツァレラにも、あの母さん牛のミルクがきっと使われていたんだ。

普段私たちの口に入るミルクも、肉も、酪農家や畜産農家の命のやりとりから生まれる賜物。河川敷の風に吹かれて清々しく笑う久利子さんを見ながら、なんとかっこいい人だ!と感じずにはいられません。

昨日も今日も明日も明後日も、私たちは「ありがとう」の気持ちを持って「いただきます」とミルクに手を合わせたい。

そんなことを感じる、千葉県野田市荒川河川敷関宿地区の、秋晴れ。知久牧場での一日でした。

 

知久牧場

千葉県野田市柏寺13

 

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大和田百合香(おおわだ ゆりか)
2001年より1年数か月にわたり、フランスやイタリアのチーズ産地を訪ね歩き、帰国後「BonBon! FROMAGE!」の名前でチーズを楽しむ会を主催。チーズ王国本店に勤務しつつ、ライフワークである国産ナチュラルチーズの工房を訪ねて北へ南へ。二人の男児育児にも奮闘中。東京農業大学栄養学科卒。CPA認定チーズプロフェッショナル、JSA認定ワインアドバイザー、フランスチーズ鑑評騎士の会シュヴァリエ。

 

牧場から始まるチーズの世界

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美味しい日本のチーズには、日本の酪農とともに生きる素敵なストーリーが。日本各地の牧場、そしてチーズ工房を訪ね、その魅力に迫る連載です。

https://cheese-media.net/?tag=farm

 

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