「STAFF VOICE」は、チーズに魅了され、縁あってCHEESE STANDで働くことになったスタッフの人生やCHEESE STANDで成し遂げたい思いなどを紹介する企画です。今回登場するのは、東京・尾山台「CHEESE STAND LAB.」(以下、LAB.)でチーズ職人として働く別所牧子です。
2022年1月に入社以来、チーズ職人としての経験はもちろん、チーズ製造における管理や流通などのセクションに携わってきた経験を活かして、幅広くCHEESE STANDのさまざまな業務を支えています。入社を決めたチーズ職人に対する思いから、入社から2年が経っての抱負、チーズ職人としてだけなくCHEESE STANDのスタッフとして考えていることなどを聞きました。
別所牧子 Makiko Bessho
東京都出身。日本大学農獣医学部畜産学科卒業。在学中の牧場実習で酪農に興味を持ち卒業後は、国際農業者交流協会の海外農業研修生としてオランダに留学し、1年間酪農とチーズづくり(ゴーダ)を学んだ。京都府丹波町の加工施設の設立や長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校の付属の乳製品加工施設の経験などを経て、2022年1月に株式会社nobiluに入社、「CHEESE STAND LAB.」でチーズ職人として働く。
X(旧Twitter):https://twitter.com/haramurakaas
意を決した一歩、漠然と「受かるような気がした」
――CHEESE STANDに入るきっかけを教えてください。
代表の藤川(真至)さんが、X(当時Twitter)でチーズ職人の求人を投稿していたのを見て応募しました。「50歳なのに雇ってくれるかな」と不安な気持ちもあったんですが、「これは運命だ、受けてみろ」といわれているような気がして、ダメ元で連絡をしてみたんです。
そうしたら経験者であれば歓迎ということで、履歴書を送ったところ採用担当者と面接ができ、さらに藤川さんとの面接をして採用してもらいました。
私は当時、名古屋に住んでいたので、最終面接だと喜んで東京に夜行バスで行く準備をしていたら、実はオンライン面接でした。東京に行けなくて残念でしたね。面接用のシャツをもっていなくて白いブラウスを買ったんですよ。オンラインだから下はいいなと思い買いませんでしたが(笑)。
――CHEESE STANDのどんな部分に惹かれましたか?
東京産の牛乳を渋谷まで運んでチーズをつくっていることにおどろきました。チーズづくりは、田舎にいかないとできないと思っていたので、都会でチーズづくりができることが魅力的だったんです。
というのも私自身が、これまで田舎の牧場近くにあるチーズ工房で働いてきたこともあります。そのなかで田舎暮らしは好きだったけど、実際に長く暮らすには向いてないことを知ったんです。外食が好きなこともあって都会のなんでも近くにある環境の方が楽しくて暮らしやすいんですよね。
都会で仕事ができるなら、それが一番いいと思っていたなかで、新しくできるLAB.で募集していた熟成チーズなら、わたしがやってきたことが活かせるし、絶対にやりたいと思ったんです。
チーズ職人は北海道などの地方を探せばあるんですが、東京でなにかをやりたかったんです。採用されてすごくうれしかったです。これでチーズづくりができるんだ、諦めないでよかったと思った。じつは、受かるような気がしたんですよ。
――それからすぐに入社になったんですか?
面接から1カ月半ほど経って2022年1月にCHEESE STANDに入社しました。
当時勤めていた職場に退職を伝えて、夫にも「東京でやりたいことを見つけたので離婚してください」と言って離婚をしてもらい東京に出てきたんです。
夫に初めて話したときは、怒られましたよ。だけど話しをしていくなかで「やりたいことがあるならやってきた方がいい」と言ってくれたこともあって、50歳で人生の再スタートを切ることになりました。
酪農・チーズ製造から離れて漬け物屋さんで働いた30代
――チーズ職人になったきっかけを教えてください。
もちろんです。しかし、どこから話せばいいかなぁ(笑)。日本大学農獣医学部畜産学科(現:生物資源科学部 動物資源科学科)の牧場実習で酪農の楽しさを知って、卒業後にオランダに研修留学しました。オランダでは2つの牧場で仕事をしながら、牧場の事業の一環であるゴーダ(チーズ)づくりに従事して、楽しいと思うようになったのがきっかけです。
帰国してからは北海道で酪農ヘルパーの仕事をしていました。ただ、そのときは牧場で働く女性たちにチーズづくりを教える程度で、チーズづくりは仕事ではなかったんです。
それから母校の日本大学の付属農場でチーズ工房を設立するということで、その立ち上げに2年ほど関わったときに牛や豚の世話をしながら、研究室の横でチーズをつくったりもしていました。そのときはゴーダをつくっていましたね。
その後、京都府丹波町に農産物の加工施設ができるから手伝いに来てほしいというお誘いを受けて移住し、準備段階から関わることになります。本格的にチーズ職人として働くことになったのは、この時が初めてでした。
丹波ワインがある地域でしたので、地域の産品をともに盛りあげていく意味でもワインに合わせやすいカマンベールタイプのチーズをつくってほしいということをいわれていました。そのため施設できるまでは、北海道でカマンベールタイプのチーズを研修することになり、現在中札内村の「十勝野フロマージュ」でチーズ製造をしている赤部(紀夫)さんが、森永乳業十勝工場職員時代に浦幌町でチーズ工房やっていらしたので、そこで1カ月ほど研修をしました。それから施設が完成した丹波町に帰って試作を繰り返してカマンベールを完成させました。
私は、乳製品全体の担当でしたので、瓶の牛乳や飲むヨーグルト、アイスクリームなども製造していました。そのため手間がかかる熟成チーズの製造ができなかったのは、ちょっと残念ではありましたね。
丹波町には10年ほどいました。町営から法人に管理が委託されたタイミングで退職。その後は、丹波町から京都市内の漬け物メーカーに通いで働きます。しばらく酪農やチーズづくりから離れた時期です。
漬け物工場では、千枚漬けのパッキングや発送業務をしたりしていて、これが意外と性に合っていて。無駄なく箱詰めする組み合わせを考えたり、それをアルバイト50人ぐらいに共有する方法をつくったりとオペレーションを組むのが楽しかったんです。その時の経験は、CHEESE STANDのチーズ包装や梱包・発送作業に活かされていると思います。
――それからチーズ職人に復帰するのはどんなことがあったんですか?
39歳のときに、丹波町で知り合って結婚した夫と離婚することになったんです。「来年で40歳になるのに離婚なんて。世の中に放り出されて、ひとりでどうするんだよ」と思いましたが仕方ないですよね。東京に戻って仕事を探すことになります。
東京で姉と二人暮らしをしながら求職活動をするなかで、長野県の八ヶ岳中央農業実践大学校の付属施設の乳製品加工業務の求人を見つけたんです。チーズ職人を離れてだいぶたっていましたので、無理かなと思いつつダメ元で応募したら、受かったんですよ。
壮大な八ヶ岳の景色を毎日みながら、紙パックの牛乳に、ハードタイプのヨーグルト、アイスクリームの製造を中心に、チーズでは久しぶりにゴーダをつくることができました。
3年ほど勤めた後、2度目の結婚を機に退職。長野県須坂市に家を買って住むことになり、地元の酒蔵の包装をする仕事をしていました。名古屋には、夫の転勤で住むことになり、2年ほど暮らしていたと思います。名古屋でしていた事務仕事が私にはどうもあわなくて。夫の病で仕事を辞めたりなど、いろいろあったこともあり「このままじゃいけない、やりたいことをやっぱりもう一度見つけよう」と、見つめ直そうとしたんです。
そんな時に姉が「東京にチーズ工房があるらしいよ」と、CHEESE STANDの話をしてくれたんです。姉は、催事で偶然買って食べておいしかったから覚えていたそうです。それがきっかけでCHEESE STANDのことを調べて、藤川さんのXの求人投稿に出会うという最初のお話に繋がっていきます。
――チーズづくりが本当に好きですし、人生を充実させる職業でもあったのですね。
「今日もきれいにカビが生えたね」とチーズに話しかけています
――入社して2年目になりますが、どんな瞬間に喜びを感じますか?
今は、メインで「東京白カビチーズ」の製造を担当しています。やっぱり東京白カビチーズを食べた人から「おいしかった」と直接いわれたり、SNSで見かけたりするとうれしいです。
また、東京・雪が谷大塚にある「NORA」というビア・ワインバーでは、私が営業をしたことがきっかけで取り引きが始まったお店で、チーズの盛り合わせに使っていただいています。実際に動いて得た繋がりが広がっていくのもうれしいですね。
――LAB.の責任者である柳平(孝二)さんとの関係はどうですか?
おもに製造の予定を決めるのは柳平さんの仕事で、私はその補佐をしているという関係です。二人では「熟成チーズたちが気持ちよく過ごせる環境をつくっていきたい」ということを話しています。具体的には、温度や湿度の管理、工房内の清掃や整理整頓などに注意を払うということです。
柳平さんは、几帳面に見えますが、じつは“ちらかし屋”だったりするんですよ(笑)。
――LAB.では、お互いに厳しく仕事をしていて、2人の個性を活かしたチームワークが素晴しいと思う一方で、渋谷・富ヶ谷の工房を手伝ったり、事務仕事も手伝う際には、どこか「おかあさん」のように面倒見がいいということも聞きます。スタッフに対する思いはありますか?
柳平さんも、富ヶ谷で製造をしているナリくん(矢田就実)も同じく、愛情を込めてチーズをつくっているし、おいしいものをつくることに対して努力を惜しまない。情熱をもっていると感じます。そういう努力や情熱が、仕事の精度をあげ、さらにチーズをおいしくすると思います。
オランダに研修留学していたときに、最初に入ったユトレヒトの酪農家は夫婦で放牧で牛を飼い、その乳でチーズをつくっていました。しかも1年を通してチーズをつくるのではなく、牧草の状態や気候もいい、牛にとってストレスのない間に搾った牛乳だけを使ってチーズをつくっていました。それに通じるこだわりを二人から感じます。
二人とも藤川さんに惹かれて入ってきたわけですから、なんといっても藤川さん自身にもっとも情熱があるんじゃないかと思います。あのもじゃもじゃの髪の毛から、何かを発信してるんじゃないかしら(笑)。おいしいものをつくりたいという情熱をもとにおいしいものをつくっていると、それを教えてもらいたいという人がやってくる。そうやって集まってきたのがCHEESE STANDなんだと思います。
――朝早くから製造に入るのは大変ではないですか?
大変といえば大変ですが、朝早いのは苦手ではないし、製造に入ると重たいものを持つこともありますが、嫌ではないです。むしろ東京は便利で、仕事が終わってから一人でも飲みに行ける店もあって楽しい。暮らし方も自分にあっているので、今は毎日が楽しいです。
それに、とにかくチーズがかわいいんですよ。製造中はひとりで作業することが多くて、そういうときはチーズに「今日もきれいにカビが生えたね」とか「おいしくなるんだよ」といって話しかけながら仕事しています。
与えられた責任感が「頑張ろう」というモチベーションになった
――LAB.としては、2023年10月27日にノルウェーで行われた「WORLD CHEESE AWARD 2023」で、世界43カ国4502商品の中から「東京ブラウンチーズ」がスーパーゴールドを受賞しました。
チーズをつくる行程ででる「ホエイ」を煮詰めてミルクを加えて練り上あげてつくる東京ブラウンチーズは、製造工程を確立するまでにとても時間がかかった商品です。
開発を担当していた柳平さんは、ホエイを煮詰める火加減や混ぜる羽根の回転数、ミルクを入れるタイミングなど、できることはすべて試したうえで、最適を導き出しようやく完成した工程です。始めた当初とは、まったく違う工程になっています。
柳平さんが鍋を焦がしたり、カチカチに仕上がってしまい何度も食べれなくしているのを隣で見ていましたから。コンテストで評価されたことで「柳平さん、頑張ったね」と思いました。
――最後に、これからの目標を聞かせてください。
「東京セミハードチーズ」をうまくつくれるようになりたいです。私のなかで東京白カビチーズの製造は確立できたと思っています。だけど東京セミハードチーズは「これでいいのかな」という迷いがあるので、その迷いを消し去りたい。
東京白カビチーズの工程が確立できたきっかけは「ミルクと話せるようになった」ことです。たとえばカードをカッティングするときに「今日はいいよ」とか「今日はもうちょっと待った方がいい」というのがわかるようになった。それが一番でした。まわりから任されたことで「これは自分がやらないといけない」という責任感が生まれ、頑張ろうというモチベーションになったことが大きいです。
ただ、東京セミハードチーズは最低でも3カ月後に仕上がるので、答えがすぐでないんです。3カ月前にどんなことをしたのか、きちんとデータをとっていく必要があるのですが、私の性格的に感覚でやってしまうことも多くて。きちんとデータ管理しながら自分のものにしていきたいです。
そして、東京セミハードチーズの次は、酸凝固タイプの「東京白やなぎ」というように、LAB.のレギュラーのチーズは全部私がやることができたらと思っています。そうすれば柳平さんに時間ができて新しいチーズの開発に集中できると思うんです。柳平さんがどんなチーズを生みだすのかが、とにかく楽しみです。
text & photos by Ichiro Erokumae
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CHEESE STAND LAB. 店舗情報
住所
〒158-0086 東京都世田谷区尾山台3-4-18
電車をご利用のお客様
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10:00〜16:00
定休日
月曜日・火曜日・年末年始
TEL
080-4928-1749
東京セミハードチーズ TOKYO SEMI-HARD CHEESE
CHEESE STAND で働く人たちのチーズとの出会いを紐解く連載「STAFF VOICE」
ローカルは地方だけの特権ではない。チーズが中心になって多様な人が集まる東京の風土を生みだしたい|柳平孝二【STAFF VOICE】