「STAFF VOICE」は、チーズに魅了され、縁あってCHEESE STANDで働くことになったスタッフの人生やCHEESE STANDで成し遂げたい思いなどを紹介する企画です。今回登場するのは、東京・尾山台「CHEESE STAND LAB.」(以下、LAB.)で熟成チーズを担当するチーズ職人・柳平 (やなぎだいら)孝二です。
2021年の夏にLAB.がオープンしたタイミングでインタビューをしました。それから約2年が経った今、2年間の試行錯誤の末に辿りつた思いや、北海道やフランスなどで積んできたチーズづくりの経験、現在の取り組みなどを聞きました。
柳平孝二 Koji Yanagidaira
1981年、東京都生まれ。大学を卒業後、服部栄養専門学校に1年間通い料理を学ぶ。卒業後は、東京・広尾のフランス料理店「レストラン ひらまつ」で料理人として働いた後、サービスに転向。このとき、ワインのほかチーズの取り扱いを学ぶ。北海道・洞爺にある「ザ・ウィンザーホテル洞爺」のフレンチレストラン「ミシェル・ブラス」でチーズ熟成士として勤務。研修でフランス中部ロアンヌにおり、フランスを代表する熟成士であるエルベ・モンス氏に学ぶ機会を得た。同ホテルは、2008年のG8首脳が集まった洞爺湖サミットの会場になり、各国首脳に提供するチーズの選定や管理を任された。ベルギーのチョコレート専門店「ピエール マルコリーニ」を運営する株式会社THE CREAM OF THE CROP AND COMPANYに入社。2017年に北海道十勝地域のチーズ工房が共同で設立した「十勝品質事業協同組合」の熟成士として、北海道へ。東京に戻ってきたのち、東京営業所として販路拡大とPR活動を担う。2021年にCHEESE STAND LAB.の設立に合わせて、熟成チーズ職人として参画。東京・尾山台に2022年3月に開業した同店で熟成チーズを製造している。
noteの柳平の記事(「一口で虜になるチーズを作りたい|柳平 孝二」)もお読みください!
「奥渋で出来たチーズを誰もが食べられる」というのは、ものすごいローカリズムじゃないか
——東京のミルクを使った、東京にあるチーズ工房であることに真摯に向き合いたいということをLAB.の設立が決まった直後に話していましたね。
3年ほどいた十勝から東京に帰ってきて少し経ったときでした。「ローカル(その地域に限られた特有なもの)は、地方の特権ではない」と考えていたなかで、それならば東京で、東京の風土をどう醸成していくか、そんなことを考えていたころでした。
というのも、その土地に生えている草を食べた牛からとれるミルクでチーズをつくると、やっぱりその土地でしかつくれないチーズになるんですよね。ローカルを出しやすいんです。
たとえば、北海道足寄町の「しあせチーズ工房」の代表でチーズ職人である本間幸雄さんは、「ありがとう牧場」の吉川友二さんが放牧で育てた牛のミルクを使って最高のハードチーズをつくっています。そういった地方のローカルに対する憧れです。
東京に戻って、そのことにすごい憧れや尊敬の念があったと同時に、ある意味での「畏れ」もあったように思います。
でも今では、風土の醸成はその地域に暮らす人々の生活に溶け込んで、その人々から愛されて受けいれられるところからスタートに立つのではないかと考えるようになりました。東京に東京のチーズがあって、東京の人が食べてるということからはじまる風土の醸成があると、今は思っています。
——「ローカルは地方の特権ではない」という思いに至ったのは、CHEESE STANDに入ったことが大きかったですか?
はい、とても大きなことでした。藤川(真至)さんが10年、やってきた「奥渋で出来たチーズを誰もが食べられる」というのは、ものすごいローカリズムじゃないかと思うんです。
もちろん「奥渋で2012年からチーズをつくっている」という事実は、ずっと前から知っていましたし、そのことのすごさは頭でわかっていましたが、実際にCHEESE STANDの中に入って目の当たりにすると、自分が思っていた以上にローカルな風土を醸成してると感じたんです。
たとえば、あの奥渋のエリアにある飲食店の料理人たちのコミュニティでは、普通にCHEESE STANDのチーズを使っていて、それだけでなくそれぞれの料理人の料理に落とし込まれている。なにげないことですけど僕が十勝で憧れてたひとつの形でもありました。
そういったことを見ていると「ローカルは、地方の特権ではない」といいながら、地方にとらわれている自分自身が、むしろローカルにとらわれすぎていることを知ることになりました。
大きな土俵のうえで生活者の人が選べることは豊かさのひとつの形
——ローカルにとらわれてていたというのは、十勝では思い至らなかったことなのでしょうか。
十勝にいたときも「僕たちは、いったいどこに向かっているんだろう」ということは、同じように考えていましたね。やっぱりつくりたいのは今までなかった文化であり、ローカルに根差した風土をつくりたいと思っていました。
東京も十勝も、ある面では同じことがあります。チーズは、連綿と繋がった流れから生まれるものだと思うんです。
一番最初に草を食む牛がいて、牛を大切に育てる酪農家がいる。その酪農家がミルクを分けてくれて、それをチーズにする職人がいて、十勝にいたときの僕は、その職人が情熱を注いでつくったチーズを預かって熟成させて、最高の状態に仕上げて出荷することをしていた。リレーみたいなものです。
それは何かをつくっているというよりは、もともとミルクがもってるものを引き出して紡いでいっているのに似た意識ですよね。そのリレーがどこかで途切れると、チーズのクオリティが悪くなってしまう。
それは東京にきても変わってなくて、酪農家さんからミルクを受け継いでいるという意識は変わっていません。
——変わらないなかでも東京に来て考えが変わったことはありませんか?
そうですね、ありますよ。でも、どこから話せばいいだろう……。
十勝は、酪農が基幹産業なんですね。だけど、TPP(環太平洋パートナーシップ協定、現在はTPP11)や日EU・EPA(日本−欧州連合経済連携協定)の締結が2010年代にあって、関税が十数年かけて撤廃されることになりました。
そうすると外国からおいしいチーズやプロセスチーズの原料になるものも安く入ってくることになります。そうすると国内ではチーズの原料になるミルクが余ってだんだん酪農の産業が廃れていくという恐れがあったんです。
そのときに十勝では地域内での競争ではなく、地域で代表するチーズをつくろうということになりました。2015年に十勝品質事業協同組合ができて、地域内の工房が協力して「十勝ラクレットモールウォッシュ」をつくることになったんです。
その2年後の2017年に十勝川温泉に国内初のチーズの共同熟成庫が建設されて、僕はその熟成士として十勝に移り住むわけです。
ラクレットの有名な産地は、スイス南部のヴァレー州とフランス東部のサヴォア地方で、ともにアルプス周辺にあります。これに続いて世界的な第3の産地として十勝のラクレットを同じ土俵に上げたいというのが大きな目標でした。
当然ラクレットの本場はアルプスで、その地域でつくられたものがラクレットではあるのですが、十勝のラクレットが世界のスーパーマーケットに並んだときに自由に選べるような未来をつくりたいということを目指していました。
それと同じようなことで、先にお話しした「ローカルは、地方の特権ではない」ということに繋がるのですが、放牧のミルクからつくられたチーズだけが本物で、それ以外が、本物じゃないわけではないと思うんです。上下があるような一つのヒエラルキーのなかにあるものではなくて、大きな土俵のうえにあったただ生活者の人が選べるっていうことが、僕はひとつの豊かさの形であるとずっと思っています。
CHEESE STANDの「出来たてモッツァレラ」もそうですし、今、東京でこうやって熟成チーズをつくりはじめて、もちろんそれは放牧の魅力ではないけども、東京のミルクからつくられたセミハードチーズで、これが好きだなと思う人がいてくれたら、それはまた新しい文脈が生まれたことになると思うし、それはひとつの豊かさの形を作ることになるのではないかと思うんです。
しあわせチーズ工房の本間さんは、放牧のミルクを使ったチーズを突き詰め、藤川さんはもっとおいしいいモッツァレラをつくることを突き詰める。僕は、僕で東京のミルクを使った熟成チーズを突き詰められるといい。そういう全体的な多様性が大切だと思っています。
CHEESE STAND LAB.のアクセス方法をまとめたnoteの記事はこちら。
熟成前のチーズがもつポテンシャルを一番良い瞬間で引き出しすのが熟成士の仕事
——以前のインタビューでは「たったひとかけらのチーズで人を感動させたい」ともおっしゃっていました。「人を感動させるチーズ」とは、どんなものですか?
僕自身の体験で、大学生の時に、北海道「共働学舎新得農場」の宮嶋望さんが、フランス中央部でつくられている「クロミエ」という白カビのチーズを食べさせてくれたことがあります。そのときに「チーズってこんなのもあるんだ」というのとともに「すごくおいしい!」と感じたんです。それは、僕のなかにあったチーズの概念というか、枠を壊すような、そういう衝動を呼び起こす味でした。
予想もしなかったおいしさってあると思うんです、心を揺さぶられるような体験。その体験が「人を感動させる」ということだと思います。僕は、純粋にその体験を自分がつくったチーズで自分が感じてみたいですし、それを消費者の方にもしてもらいたいと思っています。
——「人を感動させるチーズ」をつくるのに、なにが必要だと思いますか?
先ほどもお話ししたミルクのリレーに繋がるのですが、僕はチーズをつくっているというよりは、もともとあるミルクのおいしさ、ポテンシャルをどうやったら最大限引き出せるかなというのを日々考えています。
僕が以前ベルギーの世界的に有名なチョコレート専門店「ピエール・マルコリーニ」の日本代理店で働いてるときに、ピエール・マルコリーニさん本人に、どうやってカカオ豆を焙煎する温度や具合はなにをもとに変えてるのかと聞いたら「それは豆を食べたら、その豆がどうして欲しいかわかるんだ」といっていました。
僕がミルクを飲んでそこまで感じられるかは別として、マルコリーニさんがいうような感覚をもっていたいと思っています。あまり奇をてらったことをするよりは、そっとフォローしてあげる。そうすると、多分ですけど「人を感動させるチーズ」は生まれてくると思います。
もうひとつ、ピエール・マルコリーニに入る前にフランス中央部のリオン郊外にあるロアンヌという街の熟成士、エルベ・モンスさんの下で3カ月間チーズ熟成の基礎を学んだときのことです。
モンスさんは、フランスのM.O.F. (Meilleur Ouvrier de France、国家最優秀職人章)のチーズ部門で栄誉ある初代を授章したチーズ熟成士で、彼が熟成したチーズは、ロアンヌから車で30分ほどにあるウーシュという小さな村にある世界的レストラン(ミシュランガイド3ツ星)の「トロワグロ」にも卸されていたほどです。
そこでモンスさんから教わったのは、「熟成前のチーズが持ってるポテンシャルを一番いいとこまで引き出して、その瞬間に食べてもらうことが熟成士の仕事だ」ということです。
「レストランのヴィアンド(肉料理担当)が、肉の火入れにものすごく気を使うように、我々はチーズのもっとも良い瞬間を長い時間をかけて見てるんだ。料理とは時間のスパンが違うけど、やってることは一緒だよ」ともいっていました。
チーズの熟成は、モンスさんがいうことに尽きると今でも思ってます。あと、最後にいわれたのは「基本的なことは教えた。もうこれ以上ここにいてもしょうがないから、あとは自分のとこに帰って、自分のとこのチーズと向き合ってやってきなさい」っていわれたのも心に残っています。
——2017年から十勝品質事業組合での仕事が本格的なチーズの始まりということで、マルコリーニさんやモンスさんにいわれたことでうまくできましたか?
正直、うまくいかなかったですね。難しかった。
今だからいえるんですけど、熟成士として「十勝で俺がやってやる」って思って行ってたんですよ。めちゃくちゃおいしいチーズを仕上げてやるという気概で。
でも、そう思ってるときって本当うまくいかないんですよね。空回りしちゃうというか。
それから1年ぐらい経ってからですかね、自分の役割を理解するようになったんです。それは、さきほどから何度もいっていることで、僕がひとりで熟成をやってるんじゃないということです。ミルクがあって、酪農家がいて、チーズ職人がいて、彼・彼女たちから引き継いできたバトンを、ただおいしくして渡すことなのだということに気付けたんです。
それからけっこう楽にできるようになったんですよ。もちろん、自分自身の経験値が1年経ってついてきたってのもあると思います。
「TOKYO CRAFT FOODS GATHERING vol.1」の手ごたえ
——2023年7月26日に、LAB.がある世田谷区のクラフトメーカーが集まった「TOKYO CRAFT FOODS GATHERING vol.1」(尾山台タタタハウスで開催)は、「ローカルは、地方の特権ではない」ということへの解答になったのではないでしょうか?
まさにそうですね。東京の都市部には、いろいろな価値観を持った人、いろいろな興味を持った人がいるんです。そういった人たちは、すごく近くで隣りあって暮らしてはいるんですけど交流する場がないなって最近思っていたんです。
そういう人たちが、ローカルでつくられている食べ物を中心に交流するきっかけが生まれると、そこに予想もしていなかったような風土が生まれるのではないか。
他人でもないし友だちでもない関係性が都市部にはあると思うんです。何かその距離感が、田舎に行くよりは都市部の方にある。そしてその交流のなかにこそ、僕がいま探し続けてる都市部のならではの風土、何か目に見えない有機的な何かが見つかるような予感がしているんです。そんなことをこのイベントの準備をしながら考えていました。
——チーズ熟成士であればチーズをおいしくすること以外のことに興味がないのかと思っていたのですが、ある種の哲学的なことをチーズに求めるのはなぜなのでしょうか? ただつくっている方が、気持ちが楽なんじゃないでしょうか?
その点は、もしかしたら藤川さんと僕は似てるところがあるのかなと思っているんですけど、チーズってすごく自由なんですよ。チーズづくりにルールはなくて、何をつくってもいいんです。だからこそ、そこに必然性が欲しいと思うんです。
チーズが自由っていう意味は、たとえば毎月お届けしている「CHEESE STAND CLUB」に入っている毎月フレーバーが変わる東京セミハードチーズってなにを入れてもいいんですよ。選択肢は無限にある。だけど、なぜこれを入れるのかという理由がやっぱり欲しい。それは知り合いがつくってるプロダクトだからというようなきっかけでもいいんです。
僕たちは、いったいどこに向かっているんだろうと、今も考えています。もちろんチーズのビジネスだからチーズをつくって売るっていうことだとは思うんですけど、何かそうではないことがあるんじゃないか。なぜ僕がチーズに魅せられて、ここまでチーズに一生懸命関わっているのかなって考えたときに、やっぱり何かそういう文化を作りたいっていうのは多分、根源的にあるんだと思います。
text & photos by Ichiro Erokumae
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CHEESE STAND LAB. 店舗情報
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